日本に殺されかけた帰国子女が、日本に生きる決意をした話。

YAMATO

YAMATOさんより寄稿
ばるーん再編集

 

突然ではありますが
あなたは生きていますか?

 

ここで語りたい「生きている」は単純に呼吸をして、脈のある状態ではない。自分の頭で考え、自身の足で一歩を踏み出す。

自分自身を持って「生きている」か、あなたに問いたい。

ぼくは、生きていなかった。正確に言うと、生きていない時期があった。その頃は心臓こそ動いていたものの、死んでいたようなものだった。

なぜぼくが、ツイッターでの発信を始めたか。今日は原体験の話をしたい。

 

ぼくが一度、死ぬ前の記憶

ぼくは幼少期をアメリカはニューヨーク州で過ごした。恵まれたことに、住んでいた地域は多様性の理解も進んでいて。差別なども感じない、とても居心地の良い時間を送っていた。

人種も違えば、価値観も違う。肌の色や目の色、信じている宗教から慣れ親しんでいる習慣まで。みんな、違っていることが当たり前だった。

みんな、違うことが当たり前。

だからこそ、何をしていても「あなたはそうなのね」と一個人を見てくれる社会があった。当然それで衝突することはあれど、究極的にはそれぞれが生きたいように生きていた。

そんなぼくが、日本に帰国した。

 

「普通」という縄で首吊り自殺

憧れの日本に帰国したぼくは、相も変わらず自分の生きたいように生きていた。

制服のない中学校だったので、アメリカのときと同様、キャップを被り登校した。そこで初めて、日本の洗礼を受けた。

 

「普通、キャップを学校には被ってこないだろ。脱げよ」

 

何気ないクラスメイトにキャップを取られ、それをクラス中に投げ回された。

たしかに、あのときの教室には誰もキャップを被っている人はいなかった。だからといって、キャップを被ってはいけない理由が分からなかった。

「普通」という言葉で、多くの違和感を無理やり飲み込んだ。

普通は部活に入る。普通は先生に反論しない。

 

「普通に考えて、分かるだろ。空気読めよ」

 

いじめられたくなかったぼくは、普通に空気を読んだ。

その瞬間こそ、ぼくが「普通」という縄で首を吊ろうとしたときである。

救ってくれた走馬灯
空気を読んで、クラスに馴染んでいたぼくはほどほどに楽しい学園生活を送っていた。

いじめられるくらいなら、そこそこ面白いサッカー部に所属して。気になる点があっても、あえて先生に聞くことはせず。

周りに合わせて、なるべく目立たないようにしていればいい。それでいい。

着実に「普通」という縄は僕の首を絞め、脈も少なくなっていた頃に転機が訪れる。

中学三年生の頃、サッカー部の引退試合を敗北で終えたぼくは涙が出なかった。周りが泣きじゃくる中、一人だけ至って冷静に場を俯瞰していた。

何かがマズイと感じながらも、答えが出ないまま、帰宅した。

そして、疲れた身体でベッドに寝転び、ぼーっとしていたときに父親が部屋に入ってきた。

 

「サッカー、これからも続けるのか?」

「うーん、続けないかな」

「じゃあ、これからなにする?」

「今は分からない」

「まあ、よく考えて。やりたいこと、やりな」

 

そう言って父は部屋から出ていき、再び一人きりになったぼくの目からは大粒の涙がこぼれていた。

悔しかった。

試合に負けても泣けない自分が。続けたいと思わなかったものに、三年間もの時間を注ぎ込んでしまった自分が。ただ、周りに合わせていただけの自分が悔しくて。

ぼくは一晩中、泣いた。

そして、アメリカにいた時代を思い出した。あの頃は何事にも夢中で、全力で生きていた。

やりたいことをやって、うまくいかなかったら悔しくて。何度でも、挑戦して。

帰る時間を忘れて友達と校庭で遊び尽くした夕方、寝ることも忘れて勉強に没頭した夜。何気なく、当たり前のように本気で生きていた。

そこで、ふと気がついた。

ぼくは生きないと。ぼく自身の人生を生きないといけない

そう確信した。

 

あなたは生きていますか?

 

この世に生を受けて。たくさんの方に支えられて、愛されて。

厳格にぼくを想って、不器用ながら導いてくれる父親。圧倒的な母性で、無条件の受容を教えてくれた母親。七転八倒の兄を、笑顔で迎えてくれる妹たち。

そんな自分が不幸に生きることは、せっかくの恩を仇で返すようなものだ。

首に巻かれた縄をほどいたとき、せき止められてた血液が身体中を駆け巡ったことをよく覚えている。

生き返ってからの日々
ぼくは周囲に合わせることをやめた。

部活もやめて、自分のための時間をつくった。

高校一年生の夏休み、ずっと行きたかった一人旅に出かけたり。フランスへの交換留学プログラムに参加してみたり。字幕翻訳コンクールに応募してみたり。

片っ端から興味の湧いたことに、飛びつき続けた。真っ直ぐな好奇心に、従い続けた。すると、世界が変わり始めた。

周囲に合わせない、そんなぼくのことを慕ってくれる友達ができた。好きになってくれる彼女ができた。愛し続けてくれる家族がいた。

ぼくはもう、何も怖くなかった。

高校の生徒会長にも立候補した。周囲に合わせていただけの頃の自分なら、絶対に取らない行動だったと思う。

その成果もあってか、日本全国から選ばれた高校生とともに渡米する『高校生外交官プログラム』に合格し、6年ぶりに第二の故郷の大地を踏んだ。

アメリカは覚えていた頃と変わらず、混沌としていた。みんな、違う。それぞれが好きなように生きている。そのカオスが、それはそれは心地よかった。

みんな、好きなように生きたらいい。それでいい。

日本を舞台に生きる決意
ぼくには英語という武器があった。

これを駆使すれば、世界のどこでも仕事ができる。幼少期をアメリカで過ごせたご縁、この武器を磨き続けられる環境を整えてくれた親に心から感謝した。

でも、ぼくは日本に生きる決意をした。

なぜか。ぼくにとって、日本は自分が生まれた大切な故郷だ。

そんな日本には一つの呪いがあって、それが「普通」という呪縛だ。

ぼくの両親も、日本で出逢った大好きな友人たちも、少なからずこの呪いにかかっていた。

それを肌で感じていた自分として、この国の呪いを解かないで海外へ行くことは許せなかった。

少しでも、この呪縛に苦しめられている人を減らせたら。縄をほどくお手伝いができたら。

自殺寸前まで歩んだぼくだからこそ、できることがあるはずだ。

それが、ぼくが日本に腰を据えて、この呪いを解くことを決意した理由である。

YAMATOのTwitter
長くなってしまったが、ぼくが日本語で数々の挑戦を発信し続ける理由は語った通りだ。

少しでも、ぼくの背中を見せることで。

あとに続く勇気をもらってくれる人。同じような人間がいると、安心してくれる人。相談相手として、話しかけてくれる人。

日本に殺されけかけている同志の、助けになりたい。

日本人は極めて真面目だ。アメリカ人とは比べ物にならないくらい、気が遣えて。社会全体を見渡し、周囲に配慮する能力は世界一だと思う。

ただ、真面目すぎることがたまに瑕でもある。

もう少し、自由に。自分の純粋な感情や湧き出た衝動に従っても、バチは当たらないと思う。

それだけ、日本人は圧倒的な水準で「きちんと」している。

たまには、もっとアホになろう。

『踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら、踊らにゃ損々。』

ぼくは踊り狂い続ける。あなたが、一緒に踊ってくれる日まで。

yours sincerely,

YAMATO【大和】

編集後記

YAMATOさんの原体験。シェアさせていただきました。

いかがでしたでしょうか?

日本で生まれた人でも感じたことのあることが一度はある問題だったのではないでしょうか?

「普通」という壁にぶつかっているあなた。それこそがあなたを壁の外に導く原動力です。いろんな世界を見て楽しみましょう。踊りながら。

ありがとうございました。

Twitter

 

コメント

  1. […] i am YAMATO殿 NY育ちの関西人。中学生時代に帰国後、日本の「普通」に合わせることで一度死んでしまうも、自ら「悪しき枷」を外して蘇生。本当の意味で自分の人生を生きるとは何か、ともに探求するライフコーチ。あなたの心に火を灯す「こころ着火マン」として、起業家ときどき会社員の日々を送る。ディベート元日本一の論客。英語はペラペラ。 Twitter:@yamatokomura  質問箱:https://peing.net/en/yamatokomura YAMATO殿の原体験:https://block-genius.com/yamato7/ […]

タイトルとURLをコピーしました