期待に応えること、やめませんか?

YAMATO

YAMATOさんより寄稿
再編集ばるーん

就職活動『就活』とは何だろう。

端的に言えば「職に就くための活動」であるが、私の実感としては「期待に応えるための活動」のように思えて仕方がない。
これは就職率100%を謳い文句にする某秋田の大学特有のものではないだろう。おそらく大学生の大半は就職活動を通じて「何らかの期待」に応えようと努めている。それは親や友人、キャリアセンターの職員やお世話になった先生、誰かしらから寄せられる期待だ。

 

果たして、期待に応えようとすることは間違っているのか。

結論から言えば、間違ってはいない。しかし、普遍的な正解でもない。そもそも、基本的に大学生という人種は周囲の期待に応えてきた社会の優等生だ。受験戦争で勝利を収め、それに到るまでにも『優秀な成績』を修めてきたものたちが大学生だ。
つまり、就活の主役たちはハナからの傾向として、期待に応えようとする働きが強い。なぜなら、それが大学生にとって自然な活動だから。

期待とは愛するが故に自然発生する圧力だ。愛がなければ期待もない。
どうでもいいものには、人間は見返りを求めない。道端に横たわる浮浪者にマシな生活を願おうとも、それは期待ではなく慈悲だ。期待とは理想を手繰り寄せるための薬なのだ。興味深いことに、薬も過ぎれば毒となる。期待はときに人を救い、ときに人を壊す。親に期待されて努力した幼少期、勉強して満点を取ったときの褒められた記憶。それに類似した経験のみを糧に歩む人生には必ず限界が来る。

私は大学で義務付けられている一年間の留学中に、鬱状態になった
今まで順風満帆だった自分が、海外での生活経験もあった自分がまさかと焦った。何もかもが軌道に乗らない、普段ならば上手くいっていたことが捗らない。
先の見えない闇をとぼとぼと一人旅するうちに、人格の変化を感じた。初めて周囲の期待を裏切った、世間から求められている輝かしい自分を失った気がした。私は変わった。期待されることを極端に嫌い始めた。

振り返れば、今までの自分は期待されることが好きだったのかもしれない。他人からの期待に応え、承認される喜びは確かにあった。
何よりも内的な自分への期待が強かった。私なら出来ると誰よりも自分自身に期待し、己を鼓舞してきた。期待というエネルギーの源を大量に投与され、東奔西走の日々であった。ある種、麻薬的な精力に侵されていたのだろう。物事が右肩上がりに調子のよいときは期待通り。問題はいずれ必ず訪れる、期待外れの瞬間である。

大なり小なり、期待を裏切ってしまうことは誰しもあるだろう。しかし、同じ敗北でも12ラウンドもつれ込んだ判定負けと、小さな「つ」が何個も入るほど「ボッコボコ」にされたTKOとではわけが違う。私にとっての留学は後者であった。留学を相手にリング上で横たわる自分はそれこそ、期待というセコンドに死体蹴りされたのだ。そこで期待の掌返しを痛感した。それと同時に、期待はしても対価を求めない深い愛も学んだ。

話を就活に戻そう。これから職に就こうと努める諸君、特に愛する妹や後輩たちに伝えたい。愛しているからこそ、私はあなた方に期待しない(ように頑張る)と宣言する。それは大変難しいことではあるが、私の主観的な幸福の価値観を押し付けない。しかし、就活を終えたときに、何らかの道のりを歩み始めた際には、私に「期待に応えた」以外の選考基準を率直に語ってほしい。美味しい焼き鳥でもつまみながら、幸せについて語ろう。

期待に応えること、やめませんか。

期待に応えることは素晴らしい。しかし、それはあくまでも結果論としてだ。やりたいことをやった結果、期待に応えていれば「ボーナス加点」として捉えてほしい。まずは自分の主体性ありき、次に期待が来るのではないだろうか。今の私は少しずつではあるが、期待という力を追い風として受け取れるようになってきた。社会人デビューを飾るまで残り三ヶ月、きちんとリハビリしたい。皆さん、期待の過剰摂取にはご注意を。

 

編集後記

こんにちは。ばるーんです。
YAMATOさんが以前、就職以前に公開された記事です。

これを読んでどう思うかもあなた次第。期待されないことがマイナスに感じてしまう人もいるかもしれません。

皆さんに幸あれ。

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