人生の設計図は描けど、破り捨てていい。

YAMATO

日本でもがく帰国子女大和です。

いきなりではありますが

皆さんは人生の設計図をお持ちでしょうか。

いつまでに何をして、何歳の頃にはこのようになっていたい。

あえて描かない方もいれば、綿密に逆算して行動されている方もいるかもしれません。

ぼくは人生の設計図が燃えて、塵と化した経験があります。

この度は、その経験から学んだことを共有させていただきます。

教育実習にて

あれは大学四年生、教育実習のとき。

その話をするには、高校時代にまで一度遡る必要があります。

夢が定まった、高校一年生。
ぼくは高校生の頃、人生をかけて成し遂げたいことを決意しました。

その用は『日本一おもろい共育者になる』ということ。

まず、日本一おもろい(面白い)と自分が胸を張れる活動に没頭すること。

そして、そこから得た気付きを社会に還元し、ぼく自身も与えることで学び続けること。

教えて育てる「教育者」ではなく、共に育つ「共育者」でありたい。

そう思い始めたきっかけは、日本に帰国したときに受けたカルチャーショックにありました。

勉強大好き小学生から、勉強大嫌い中学生に。
幼少期をアメリカで過ごしたぼくは、学校が大好きでした。

なによりも先生のことが大好きで、勉強にものめり込んでいました。

放課後は一人で図書館にこもり、宿題を終わらせては興味の湧いたことについて調べる日々。

そんな毎日を支えてくれていたのは、当時の先生方にあると振り返ります。

小学生が意気揚々と持ってくる発見に、真剣に向き合い、ともに学ぼうとしてくれる。

「Wow, great job!!」

既に知っていたことであったとしても、まずは褒めるところから始めてくれました。

思えば、彼らとの出逢いがなければ、今のぼくはいない。

ともに育とうとしてくれる大人がいたことはそれくらい、貴重な体験でした。

そして、ぼくは帰国し、日本の中学校に入学しました。

何よりも大きかったカルチャーショックの一つは、先生と生徒の関係性でした。

先生は絶対的な存在で、質問を投げかけることは煙たがられる。

生徒はただ黒板を写し、黙々とチャイムが鳴るまで席に座っている。

違和感の塊でした。

なにより、ぼくは大好きだった学校も、勉強も、大嫌いになりました。

なぜなら、学ぶことが楽しくなくなったから。

そして、ぼくは決意しました。

共に育つ「共育者」に、ぼくはなる。
中学校を卒業するとき、ぼくは棒に振った三年間を振り返る。

決して成績は悪い方ではなかった。

ただ、それは要領よくテスト勉強をこなしただけで、何か大切なことを学んだかと言えば、首は縦に振れませんでした。

あまりにも面白くない日本の学校教育。

ここに日本の可能性がある。

たった一人の先生の力で、数々の生徒の未来が変わる。

それは可能性を広げる方向に導くこともあれば、芽を摘む形に終わることもある。

この国はまだまだ進化できる。

ぼくが日本の教育の在り方を変える。

そう確信し、ぼくは教員になることを決意します。

教育実習初日に放たれた、「帰れ」の一言。

国際教養大学に入学したぼくは教職課程を履修し、着実に描いていた設計図を実現していきました。

必要な単位をほとんど取り、迎えた最後の難関・教育実習。

ここで、ぼくの人生が再び大きく変わります。

教育実習初日。

ぼくは母校にお世話になるため、京都にいました。

最初に与えられた課題は自己紹介の作成。

ぼくは『日本一おもろい共育者』になるべく、いろいろな経験を積んできたつもりでした。

なので、ありったけの持ちネタを、ハッシュタグ形式で書き連ねていきました。

#旅 #アメリカ #ケニア #フランス #音楽 #ギター #ベース #作詞作曲 #アカペラ #ディベート #映画 #字幕翻訳 #バイト #塾講師 #ラーメン屋 #ホスト #アパレル #うつ #引きこもり

※当時はもっと膨大な量を書いていましたが、ここでは割愛。

この中のある単語が、担当教諭の逆鱗に触れます。

放課後、校内放送のベルが鳴る。

「古村くん、大至急教員室に来なさい」

生徒の頃から、教員室に呼ばれるときは嫌な予感しかない。

恐る恐る、教員室に入り、担当教諭の下へ。

「これはなんや」

彼は自己紹介を書いた用紙を、指差している。

「自己紹介です」

本題が読めないぼく。

「ホストってなんや」

「ホストクラブで働かせていただいた経験があるので、それについても語れるかなと思いました」

「お前、なにしにきたんや」

「教育実習です」

「ほんで、この自己紹介を書いたんか」

「はい」

「帰れ」

「えっ」

「もうええ、荷物まとめて帰れ」

「帰りません」

「帰れ」

「帰りません」

しばらく、このようなやり取りが続く。

「ホストクラブで働いた経験も、ぼくにとっては大切な学びの一つです。もしも、生徒がそれに関心があるなら答えてあげたいと考えています」

「お前はホストを育てるために、ここに来たんか」

もう、ダメだ。

この会話が不毛であることに気付いたぼくは、自己紹介を書き直すと伝え、教員室を後にしました。

控え室への帰り道、むしろ思考は鮮明でした。

教員免許は今までの時間を無駄にしないため、取得する。

ただ、学校の教員ではない形で、共育に携わることを胸に誓いました。

ぼくが高校生の頃に描いた人生の設計図は七年の時を経て、塵と化したのでした。

燃えカスの中に、残ったもの。 燃えてなくなった、人生の設計図。

しかし、その燃えカスの中にも、灰になっていない想いがありました。

教育実習を通じて、交流した生徒たち。

未来ある若者と交わる楽しさを改めて痛感しました。

やはり、ぼくにとって彼らとの接点は生き甲斐になる。

しかし、学校教員にはなれない。

ぼくは自分自身の用の本質にたどり着きました。

それは『共育者』であること。

共育者であることは、決して教員であることではない。

共に育つ意志を持って、人と関わることにある。

教員はその手段であり、他にも目的を達成する方法があることに気がつきました。

燃えカスの中に残ったもの、それが本当に大切なものでした。

おわりに。 人生の設計図。

個人的には、描いておくことを推奨しています。

目的地を設定することで逆算が可能になれば、その過程の楽しみ方も選べるようになります。

ただ、その設計図に固執する必要もないと考えていて。

好きなタイミングで、違うと感じたら破棄してもいいものかとも思います。

設定する目的地が変化することは、むしろ進化だと捉えていて。

一つのゴールに向かって歩んでみたからこそ、視座が高まり、視野が広がり、視点が変わった。

そして、人生の設計図を描きなおした。

それは至極当然なことではないでしょうか。

人生の設計図は描けど、破り捨てていい。

そんな心持ちで、人生という旅を楽しんでください。

所詮、人生は死ぬまでの暇つぶしなんだから。

yours sincerely,

YAMATO【大和】

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ぼくが日々の活動を発信するに至った、原体験の物語はこちら。

日本に殺されかけた帰国子女が、日本に生きる決意をした話。

そんなやまとさんの計画

日本人、総踊る阿呆化計画。

 

編集後記

寄稿YAMATO
編集ばるーん

またまた寄稿していただきました。

昔、古典の先生から「当時付き合っていた彼氏が水商売をしていた」という話を聞かされた話を思い出しました。

ファンキーなおばあちゃん先生で、普段は奥ゆかしく古典の恋の話を教えてくれるのですが、そのギャップに驚いてしまって、その単元のところだけなぜか満点だったのを覚えています。

またいつか

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