母と動画は偉大なり。〜妹の出産を経て、感じたこと〜

YAMATO

僕は伯父さんになった

2019年05月21日(火)14時29分、ぼくは「伯父さん」になった。

※本投稿は、涙が止まらない筆者が泣き止むために書いた、感情整理の記録である。

破水らしきものがあり、妹が出産のために入院したとの報告を受けてから丸二日。約54時間に渡る出産劇を、遠く離れて暮らす自分は家族のライングループを通じて見守っていた。

始まりは、妊婦の妹から「入院が決まりました!ウキウキ」というラインが届いたとき。陣痛はまだ来ていなかったものの、予定日の前日だったこともあり、入院することとなった。

病院の駐車場で車から降りる妹。パジャマに着替え、余裕たっぷりの笑顔で昼食を楽しむ妹。近くで応援できない自分のために、母が動画を撮影しては送ってくれていた。

動画から伝わる落ち着いた表情は、我が妹ながら「あっぱれ」と言わざるを得ないほど、母になる覚悟の決まった顔だった。

※ちなみに、そのときのぼくの心境は以下の通り。

両親が代わり番こで妹に寄り添い、ラインで実況中継をしてくれる中、入院から約12時間ほど経ったタイミングで「少しずつ陣痛が強くなっている」と妹本人から連絡が入った。

深夜に届いた自撮りの動画に映る妹は明らかに疲れていたものの、心配する必要はないと伝えてくれた。そわそわする兄とは裏腹に、妹は冷静であった。しかし、翌日からはその余裕も影を潜める。

翌朝からは陣痛促進剤を使い、分娩室へ向かう機会を伺う。しかし、分娩室に向かうほどの陣痛がなかなか来ないらしい。

届く映像を見る限りは十二分に痛そうにしているので、それを超える「喋ることもできないくらい」強烈な陣痛とやらが来たら失神してしまうのではないか(自分なら)とさえ思えた。

※このあたりから、もはや妹ではなく、一戦士を見守るような気持ちでライングループに張り付いていた。

ただただベッドで辛そうに声を上げる様子だけが届くようになり、むしろ、こちら側が現実から目を背けたくなるような状態だった。しかし、遠くにいる自分は背中を擦ってあげることもできないので、ただひたすらラインで応援を送り続けた。

そして、妹は入院してから二日目の夜を迎えた。五分ずつ仮眠を取るような形で夜を明かしたらしい妹は「陣痛のプロ」という異名を母から与えられていた。

陣痛は続くものの、分娩室になかなか向かうことができず、とうとうお昼過ぎには帝王切開に踏み切ることとなった。そして、そのときは突然やってきた。

 

 「元気に泣いている」

 

母からそうラインが入った後に送られてきた動画には、妹の旦那(ぼくの義理の弟)が赤ん坊の登場を待ちわびて、そわそわしていた。

そして、次の動画には産まれたての大きな男の子が写っていた。元気にたくましく泣く姿につられて、ぼくは涙が止まらなかった。未だにその映像を見てしまうと、一人で涙腺が緩くなってしまう始末である。

出産から数時間が経った今、母子ともに健康で、自分もようやく泣き止むことができた。画面越しではあったものの、生命の奇跡、母になる女性の強さを痛感した二日間であった。

立派に母になった妹には、まず「お疲れ様」と伝えたい。続きは実家へ帰省したときに、またゆっくり話せばいい。

そして、ぼくはふと、自分が父になる日を想像して先が思いやられるのであった。「嫁があれだけ苦しんでいたら、こちらがパニックになるだろう」と。最後まで、男は情けない限りである。

 

おしまい。

 

すっきりした。やで。

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